[PR]
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ミシンを踏んでいるその間は話しかけてはいけないのだ。
部屋に入った瞬間は音に震える。
すぐにそれが心地よくなる。これは海だ。音の津波に頭から飲み込まれて、息をする、音をとらえることだけに集中できる。俺はつまさきすら浸したことのない海をここでみている。
指先で行き先を示される針は、布に豊かな皺と糸のくぐった跡を残す。
総悟は花の名前ひとつ知らないくせに、布の上には大輪のそれを咲かすのだ。
用事なんてすぐに済むだろう。そしたらもう、この箱の海にはいられなくて。
だから糸屑ですぐに曇ってしまうガラスに指を走らせながら待っている。
覚えたてのレシピは、最後の二行を残すだけになる。
波がひく。
「・・・来てたの」
「悪い、勝手に入って」
「それはいいんですが、なにか。仕事?」
「いや。これ」
深い静けさのなかで総悟のまばたきが、ゆるく空気を掻き混ぜた。
歓迎されていないのをかたく結んだくちもとから読み取って、俺はつとめてなんでもないふうに、自分の掌を差し出した。
金の残像を描いて、石のついた指の環が、総悟のてのひらに着地する。
「・・・なにこれ、随分凝った細工がしてありますが」
「たぶんお前と同い年だろ、それ」
「でしょうね。裏に刻印がある・・・でも珍しい、あんたがこういう華奢なつくりのものをお持ちだなんて似合わない」
「随分だな」
「だってほんとうのことでしょう。脆そうで繊細なものって、はなから持ちたがらないって思ってやした・・・ああだけど」
「総悟」
ことばを遮ると、総悟はびくりと肩を震わせてすぐさま顔を伏せてしまった。
かんは悪くない。そのくせばかのふりをしようとする。
それが時折かわいそうで、しかたがなくなる。
「もういいだろ。俺と一緒にここから出よう」
「そんな簡単に言わないで」
「簡単だよ」
「なにもかも捨ててあんたと逃げるだなんてできない」
「俺だってなにもかも持っていくわけじゃない」
「一方的に終らせようだなんてアンフェアだ」
「俺の都合で終らせたみたいに決めてかかるなよ」
「・・・俺は、針で花を紡ぐ生活を諦める。じゃあ土方さん、あんたはなにを?」
「執着しない。だからひとつだけ選ぶ」
「お前だけを」
ほかはなにもいらないから、一緒に夢から覚めよう。
そう言ったら、七年越しの恋人は、黙ったまま顔を上げた。
横顔に、すうと涙が伝った。それを俺は許された距離でやわく拭う。
「だから残酷だっていうんだ、あんたは」
ぴしりと亀裂の入る音がした。
鈍く光っていたミシンは主人に恨みごとのひとつもいわず、赤く錆びついた。
そして幻のような海鳴りだけが、いつまでも残る。