地震のことを。東京は電車の本数が減ったり、お店が休業だったり、やってても照明を消してたり、衛生用品や日用品、一部食品が売れ切れていたりと、地震の影響が続いています。
お前ごときがしたり顔で語るなよって怒られるかもしれませんが、今日だけちょっと。明日からまた平常に戻りますので・・・
地震の発生当時、私は茨城にいました。
乗っていた電車が急停車して、震度6弱を二回、電車の中で体験して、そのあと車掌さんから「線路が曲がっていて復旧のめどが立たないので降車するように」と指示がありましたので、線路沿いに歩いて駅に向かいました。
このあたり、まったくのんきなもんで「寒いし疲れてるのに歩くのやだなー」くらいのものでした。
駅は真っ暗でした。駅員さんにたずねると、周辺一帯、停電しているとのことでした。「●●中学校さんが避難所になっています」と教えてもらったので、また歩いて、そこに向かいました。数時間もすれば電車通るだろうと思って。(今思えば、線路曲がったってよっぽどですよね・・・認識不足というかアホというか)
歩きながら周りを見れば、ブロック塀は倒れている。ガラス戸が割れている。二階が崩れて落ちている。このへんでようやく、深刻さに気付きました。
それでまた、余震がくる。ブロック塀がミシミシいう。怖くて全力疾走しました。見通しいいところいかないと!って思って。
だんだんと日が暮れて寒くなってきました。
途中にあった、あかりが消えたコンビニを覗くと、酒とダシ?っぽい匂いがしました。(たぶんいろいろ瓶が割れていたんだと。)
ぞろぞろと長い列をさばきながら、店員さんが「緊急じゃない方は控えてください」と叫んでいました。それでも列は伸びるんですけど。
私は店内に入るのを諦めて、また中学校を目指しました。
信号が消えたままの道路を、のろのろと車が進んでいきますが、途絶えることがないのでなかなか道を渡れませんでした。強行突破でえいっていっちゃえないんですよ。見通し悪いから、そんなことしたら確実に轢かれる。
それでもなんとか人が進行さばいてる箇所で横断して、迷いながら避難所の中学校にたどりつきました。
避難所の体育館は人でごった返していました。
壁際には中学生が白い体操服を着て、何十人か固まっていました。
「2年3組中村くん、おうちの方が見えました」って先生が拡声器でアナウンスすると、呼ばれた生徒が立ちあがって、保護者と合流。生徒は当然近隣に住んでいる子達なので、夜八時くらいには、全員いなくなっていました。
とにかく寒かったです。暖房入ってない体育館ですからね・・・当たり前に寒いです。
それでもしばらくすると、市役所の職員さんとか消防団の方かと思いますが、数人がかりで、照明と暖房器具を運び込んでいるようでした。
お祭りで設営するテントの照明あるじゃないですか。あんな感じの黄色のライトと、学校の式典のときに出てくる、赤々と光ってゴーって音がする暖房器具。そういうのを設置してくれました。
私スーツとコートとローヒールの靴という場違いな格好してまして。(日帰りのかるーい出張の予定だった)
体育館に引かれたビニールシートの上でガタガタ震えてたら、優しいおじさんがカッパを貸してくれました。別のおばちゃんは座布団を。「こういうときはお互い様だから」っていって。自分達も、寒いなあって言ってたのに、毛布とか上着とかいっぱい持ってきたから、大丈夫って。なんだそれ・・・すごい。
ほんとに甘えて、カッパと座布団に丸まってなんとか寝るぞ、とダンゴ虫みたく丸まってたら、肩をゆすられて、「炊き出しあるってよ。食べておきたほうがいいよ」ってまた知らない人が呼んでくれました。おかげであったかい汁物とご飯にありつけました。
一人でいると心細いでしょ、って、近くにいたおじさん達が、輪の中に入れてくれました。んでそのおじさん達がまた優しくて、ジャージ貸してあげようか?とか電車心配だね、とかいろいろ気をつかってくれまして。(そのあとうつらうつらした時、いつの間にかジャージ掛けてくれてた・・・)なんか色々今までの人生とか悔いた。
余震は十回くらいあったのかな?船の中にいるみたいでした。
携帯電話の電池が切れてしまっていたので、再起動でギリギリ電池を復元し、メールをセンター問い合わせで受信。携帯電話は全く不通のようでした。
上司や同僚からのメールで、「職場に安否確認入れよ」とあったので、公衆電話を探して連絡しました。「危ないからそこでじっとしていたほうがいい」じっとしているしかないです・・・と思いながら電話を切りました。
夜も深まり、ますます寒さと暗さが増しました。
まわりから、茨城の周りの橋という橋が落ちて、道路もダメになっちゃったらしいとか、線路どころか駅舎も壊れてるらしい、とか怖い話ばっかり聞こえてくるんですよね・・・「まさか生きてるうちにこんなことが起きると思わなかった」っておばちゃんがしみじみと。
それでも午前二時頃に、ラジオから「長野・新潟から救援物資が送られることになりました」ってうれしい話題があったんですよ。にわかに湧く周辺。「なんだ、通れる道路ちゃんとあるのね」って。
そしたら午前四時頃?「長野・新潟でも強い地震がありました」って・・・
え、昼間は宮城で大きい地震って言ってたよね?
範囲、広すぎるよね?って。なんかもう、このあたり夢みてるみたいで・・
ラジオから、「被災地の、夜明けの時間をお知らせします」って聞こえてきたときは、うれしかったです。明るくなるのがほんとうに待ち遠しかったんで。あと何時間、何分って、起きてる人は皆待ってたと思います。
夜が明けると、近くにいた優しいおじさん達は「歩いて近くの町を目指す」って行って、出発してしまいました。
おじさん達、東●電力の方たちだったそうです。たまたま出張帰りに、私と同じく電車で地震に遭って、避難してきたそうで・・・
その人たち、私だけじゃなく、いろんな人に気遣いしてました。お年寄りが立ちあがるのに手を貸したり、迷ってる人を誘導したり、荷物持ってあげたり。
それで、町の事業所行ったらなにか出来ることあるかもしれないって、夜明けとともに出発ですよ・・・もうありがとうとしか言えないです。
(ちなみにJRも、朝四時くらいには緊急配置で招集がかかり、朝七時に復旧作業に取り掛かるって言ってました。ラジオ情報。)
そして再び一人になった私はぼんやりと、まさに座りこんでいたのですが、思いもよらず
職場の本部の方が保護しにきてくれまして・・・
「えええどうして道割れたとか橋落ちたとか聞いてたので電車復旧するまで帰れないと思ってましたあああ」
「下道とか回って来たんだよ~とりあえず幹部も待機してるし、本部の事務所行こう」
なんかいろいろマックスでした・・・
つーわけで次の日は事務所いって、あらためて新聞見たら東北はもっとひどい事になっていて、電車はまだまだ動いてなかったので事務所に泊まって、日曜日に家族全員と連絡がとれて・・・となったわけです。
日常に戻れたことに胸を撫で下ろしながらも、ほか地方、東北は言うまでもなく、茨城もいまだライフライン回復してないどころか原発の影響も気がかりだという、深刻な状況です。
無事なところから被災地に救援物資送りたいって思っても、宅配便も郵便も受け付けてもらえないんですよね。
募金と節電くらいなんですかね、個人でできるのは・・・
以上です。
長々書きました。
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